ワガママMAGAZINE
vol.5 世代をこえた自由研究ワークショップ:すれ違いの中にあった、出会いと学びの時間
2025-08-30
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夏休みの課題として定番の自由研究。テーマの決め方や進め方に悩む参加者は少なくありません。2025年7月22日、「ICT利用・生活研究室」によって、研究へのヒントや視点を共有しようと「夏休み自由研究サポート」というワークショップがラコルタ柏で開かれました。
主催者の願いは、参加者にとって学びの助けになること、そして世代をこえた交流の場を持つこと。当日は、初めて顔を合わせる中学生、小学生、大人たちが同じ空間に集いました。世代をこえた対話から見えてきたのは、わかりあうことの難しさと、だからこそ生まれる発見や新鮮な気づきの面白さでした。
主催者の願いは、参加者にとって学びの助けになること、そして世代をこえた交流の場を持つこと。当日は、初めて顔を合わせる中学生、小学生、大人たちが同じ空間に集いました。世代をこえた対話から見えてきたのは、わかりあうことの難しさと、だからこそ生まれる発見や新鮮な気づきの面白さでした。
▪️「自由研究」をめぐって。すれ違いから始まる対話
イベント参加者は、小・中学生5人。そこに、70代の主催者、アシスタント役の50代と70代の方、そして30代の私が加わり、異世代が一つの空間に集いました。
イベントの冒頭は、自己紹介からスタート。「いま興味のあること」「将来の夢」「夏休みにやろうと思っていること」などを一人ひとりが話す時間が設けられ、それぞれの個性が溢れる自己紹介になりました。主催者は、参加者の言葉一つひとつに耳を傾け、話を深掘りしようと熱心に質問を重ね、自然とその時間は長くなっていきます。
残り時間が少なくなってきた中、本題「自由研究」の議論に入ります。
参加者たちの「自由研究のアイデアを一緒に考えてもらえる」期待と、「議論を通して参加者のまなびにつなげたい」という主催者が大切にしたい学びのあり方の間には、少しずつすれ違いが生まれていたようにも感じられました。そのすれ違いが、問いかけの難しさや場の空気に影響したのか、参加者たちが戸惑いながら顔を見合わせる場面もありました。主催者の想いがこもっていたからこそ、自然と大人側からの発信が多くなる時間もありました。
主催者の言葉の中には、「生活のあらゆることがなんでも研究材料になる」「さまざまなことに疑問を持つことの大切さ」といったメッセージがありました。そのメッセージは、参加者に響くものがあったように、私には感じられました。
▪️世代をこえるって、どういうことだろう
参加者たちの宿題の題材にもなっている「SDGs」「Society 5.0」「AI」「英語」「動画制作」などについては、主催者と参加者それぞれが得意な領域を持っており、自然と教え合う場面もありました。その時間には、お互いに学び合う喜びが確かにあったように感じます。
この日私が感じたのは、世代が違えば、言葉の使い方や声のトーン、話すテンポ、価値観までもが異なるということです。略語ひとつ、話し方ひとつで、思った以上に「通じない」瞬間が生まれます。私自身、「伝えるって難しい」「わかり合うには時間がかかる」と思う場面がいくつもありました。だからこそ、他者と関わるうえでは「言葉のチャンネルを合わせる」意識がとても大切だと感じました。それは単なる技術ではなく、相手を思いやることで初めてできることなのだとも思います。
たしかに、主催者と参加者のあいだには、伝えたいこと・聞きたいことの間に少しのズレがあったかもしれません。それは、違う世代が出会うからこその始まりの戸惑いだったとも言えるのではないでしょうか。世代の違いをこえて対話しようとする中で、「世代をこえるってどういうことだろう?」という問いが自然と生まれたこと。それ自体が、このワークショップで得られた気づきだったように思います。
また、終わった後の参加者の感想に、「よくわからなかったけれど、だから面白かった」といった声がありました。“わからない=意味がない・楽しくない”とは限らないことを教えてくれた気がします。
残り時間が少なくなってきた中、本題「自由研究」の議論に入ります。
参加者たちの「自由研究のアイデアを一緒に考えてもらえる」期待と、「議論を通して参加者のまなびにつなげたい」という主催者が大切にしたい学びのあり方の間には、少しずつすれ違いが生まれていたようにも感じられました。そのすれ違いが、問いかけの難しさや場の空気に影響したのか、参加者たちが戸惑いながら顔を見合わせる場面もありました。主催者の想いがこもっていたからこそ、自然と大人側からの発信が多くなる時間もありました。
主催者の言葉の中には、「生活のあらゆることがなんでも研究材料になる」「さまざまなことに疑問を持つことの大切さ」といったメッセージがありました。そのメッセージは、参加者に響くものがあったように、私には感じられました。
▪️世代をこえるって、どういうことだろう
参加者たちの宿題の題材にもなっている「SDGs」「Society 5.0」「AI」「英語」「動画制作」などについては、主催者と参加者それぞれが得意な領域を持っており、自然と教え合う場面もありました。その時間には、お互いに学び合う喜びが確かにあったように感じます。
この日私が感じたのは、世代が違えば、言葉の使い方や声のトーン、話すテンポ、価値観までもが異なるということです。略語ひとつ、話し方ひとつで、思った以上に「通じない」瞬間が生まれます。私自身、「伝えるって難しい」「わかり合うには時間がかかる」と思う場面がいくつもありました。だからこそ、他者と関わるうえでは「言葉のチャンネルを合わせる」意識がとても大切だと感じました。それは単なる技術ではなく、相手を思いやることで初めてできることなのだとも思います。
たしかに、主催者と参加者のあいだには、伝えたいこと・聞きたいことの間に少しのズレがあったかもしれません。それは、違う世代が出会うからこその始まりの戸惑いだったとも言えるのではないでしょうか。世代の違いをこえて対話しようとする中で、「世代をこえるってどういうことだろう?」という問いが自然と生まれたこと。それ自体が、このワークショップで得られた気づきだったように思います。
また、終わった後の参加者の感想に、「よくわからなかったけれど、だから面白かった」といった声がありました。“わからない=意味がない・楽しくない”とは限らないことを教えてくれた気がします。
▪️企画に込められた1年越しのおもい
この企画は、柏市社会福祉協議会のサポートを受け、1年という時間をかけて温められてきたものでした。協議会によれば、主催者の思いや挑戦する姿勢に重きを置き、参加者にとっても実りある場になるよう、バランスを考えながら丁寧に企画を進めてきたそうです。1年という準備期間をかけて取り組まれた背景には、「参加者の役に立ちたい」「世代をこえて交流する場を持ちたい」という強い願いとともに企画に向き合ってきた主催者の姿があったそうです。年齢や立場を超えて、一緒に考え、語り合える時間をつくろうという思いが、企画全体を支えていたことが感じられます。
イベント終了後、主催者からは「難しかった」という率直な感想も聞かれましたが、それは真剣に参加者と向き合おうとしたからこその言葉でもありました。そして、「今後も続けていきたい」と語る姿からは、あたたかな意志と、前に進もうとする希望がにじんでいました。こうした実践を通じて、主催者自身も学びを深め、新しいかたちを模索していく。そんなプロセスを見守り、支えていくことも、サポートする立場の大切な役割なのかもしれません。
この企画は、柏市社会福祉協議会のサポートを受け、1年という時間をかけて温められてきたものでした。協議会によれば、主催者の思いや挑戦する姿勢に重きを置き、参加者にとっても実りある場になるよう、バランスを考えながら丁寧に企画を進めてきたそうです。1年という準備期間をかけて取り組まれた背景には、「参加者の役に立ちたい」「世代をこえて交流する場を持ちたい」という強い願いとともに企画に向き合ってきた主催者の姿があったそうです。年齢や立場を超えて、一緒に考え、語り合える時間をつくろうという思いが、企画全体を支えていたことが感じられます。
イベント終了後、主催者からは「難しかった」という率直な感想も聞かれましたが、それは真剣に参加者と向き合おうとしたからこその言葉でもありました。そして、「今後も続けていきたい」と語る姿からは、あたたかな意志と、前に進もうとする希望がにじんでいました。こうした実践を通じて、主催者自身も学びを深め、新しいかたちを模索していく。そんなプロセスを見守り、支えていくことも、サポートする立場の大切な役割なのかもしれません。
▪️対等なまなびあいの場へ
企画やイベントというと、「参加者をおもてなしするもの」というイメージが先行しがちです。もちろんそれも大切な要素ですが、一方的なおもてなしばかりでは、どこか“対等さ”が失われてしまうこともあるように思います。
今回のように、主催者も参加者も「どう関わればいいのか」「どんな言葉を発すればいいのか」と手探りで過ごした時間は、まさに“ともに考える”という営みだったのかもしれません。
一度で完璧な対話は難しい。でも、世代をこえた出会いを重ねるなかで、少しずつ歩み寄り、すれ違いも戸惑いも含めて言葉を探し合う。それこそが、相手を理解しようとする豊かな学びの時間になるのだと信じられる時間でした。それが、今回の企画が残した大きな価値だったのではないかと感じています。
企画やイベントというと、「参加者をおもてなしするもの」というイメージが先行しがちです。もちろんそれも大切な要素ですが、一方的なおもてなしばかりでは、どこか“対等さ”が失われてしまうこともあるように思います。
今回のように、主催者も参加者も「どう関わればいいのか」「どんな言葉を発すればいいのか」と手探りで過ごした時間は、まさに“ともに考える”という営みだったのかもしれません。
一度で完璧な対話は難しい。でも、世代をこえた出会いを重ねるなかで、少しずつ歩み寄り、すれ違いも戸惑いも含めて言葉を探し合う。それこそが、相手を理解しようとする豊かな学びの時間になるのだと信じられる時間でした。それが、今回の企画が残した大きな価値だったのではないかと感じています。









